屋久島町 – 山地 竜馬さん

2007.09.01

奈良よりIターン

住所 鹿児島県熊毛郡屋久島町口永良部島
移住した年月 2007年9月
移住前の住所 奈良県桜井市
家族構成 単身
仕事 一般社団法人へきんこの会
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移住した理由

友人の結婚式で始めて鹿児島に来て、1週間の休暇をとり、種子島→屋久島へ。屋久島の民宿で見たガイドブックで口永良部島を知り、民宿のおかあさんの紹介で口永良部島の民宿オーナーであるヨットマン(愛称)を紹介してもらう。

島に足を踏み入れて、すぐに「何しに来た?観光か?」の問いに、「島の生活が知りたい」と答えると「じゃあ俺の仕事を手伝え」と…すぐに漁船に乗せられ漁へ、伊勢海老が数十匹に魚が大漁だった。陸にあがると畑へ、広大なとうもろこし畑があり収穫作業の手伝い。人間が食べるにしてはかなりの量だなと…すると奥の牛舎へ行くと黒毛和牛がいた、牛のエサだった。民宿に戻り、お客さんの夕食を作り、最後は飲ん方で1日が終わり、早朝に起床し朝ごはんを作り、また漁に出かける。そんな1週間を始めて来た島で過ごした。

当時は、自営業で父親と2人で働いていたので、いったん島を離れたが、その時にはすぐに島に行こうと考えていて、父親に相談し、渋々了解をもらった。

父は「30歳までは自分の好きにしろ」とは言ったが、まさか私が、島に住んで農林漁業をするなんてことは夢にも思っていなかったはず。その後、約6ヶ月の間ヨットマンの民宿に住みこみで働き、島の生活はもちろん、農業や漁業の楽しさから厳しさまで、少ない期間ではあったけども貴重な体験ができた。でも、将来を見据えたときには、この生活を続けることは考えられなかった。

研修のつもりで給料はもらわず、ほとんど金にならない牛の世話や漁に出る毎日を続けることに限界を感じた。奈良に帰るか、島に残るかの選択で、結局は島に残ることを選び、島に残るならば自分の力で仕事を作り生活する覚悟を決めた。

移住してよかったこと

島に住み始めて3年が経過しましたが、自分のやるべきことやしたいことが少しずつ明確になり、平成22年5月に起業し、現在は一般社団法人へきんこの会・代表理事という立場で、運送会社でアルバイトをし、島の団体や消防団にも入り、集落の役員にもなり、牛も飼い、漁の手伝いもするといった具合に、本当にあっという間に毎日が過ぎて行きます。

そんな中で何よりも力になるものは、島民の協力です。何もできない私を支えてくれる島のおじ・おばや若者の存在です。私は日々彼らから何かを学ぶ一方で、自分に何ができるかということを常に自身に問いかけています。

自分には、この島の魅力を世に伝え、後世に残すことが責務だと考えています。そのために、この島に住み、起業し、自分が独り立ちすることはもちろんの事として、同世代の仲間や子供達に、この島の生活基盤を提供したい。この島に住むおじ・おばが築き上げてきた素晴らしい伝統・文化・歴史を後世に残すためにも、都会でくすぶっている若者が、この島に来て、住み、働き、夢に挑戦できるような環境や仕組みを創りたいという想いで活動をしています。

移住して良かったことは、今現在も私がこうして自分のやりたいことに挑戦できること、それを支えてくれる島民の信頼があると信じる事ができることではないかなと考えています。

移住を考えている人へのアドバイス等

私は移住を考えて、この島に来た訳ではないので、アドバイスできることは、あまりないと思うのですが、もしし自分で何かやりたいことや変えたいことがあって、本気になって行動されるのであれば、まずはこの口永良部島に足を運んで頂きたいと思います。

私は最初から、定住や就農を考える必要は全くないと思っていますので、口永良部島に住むことだけを薦めることはしません。この島以外にも素晴らしい島はたくさんあり、魅力的な人はたくさんいて、その中に私の仲間や先輩方も生活をしています。

大切なことは、自分が何をしたいのかを明確にする努力だと考えています。ただ単に移住先に何かを求めてくるばかりでは厳しいと思いますし、自分に何ができるのかを問い、相手が何を求めているのかを考え、情熱をもって行動することを心がけることが重要ではないでしょうか?

都会でくすぶっている方には、何か助けになる事もあると思いますので、そのあたりを踏まえた上で、「いきいき鹿児島交流居住推進協議会」にご相談されることで、1つの方向が見えてくるのではないでしょうか。

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