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【心動かされた場所へ。知覧がくれた移住のきっかけ】青木俊哉さん/2025年鹿児島市に移住

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青木俊哉さん

神奈川県藤沢市出身。東京での会社員時代に知覧を訪れたことをきっかけに鹿児島に魅せられ、その後、鹿児島出身の妻と出会い結婚。2025年1月に鹿児島へ移住し、現在は出張洗車サービスの事業を運営する傍ら、知覧での平和研修事業のサポートも行っている。地域とのつながりを大切にし、鹿児島での新しい生活を楽しんでいる。


Q:鹿児島へ来る前は何をしていましたか?

出身は神奈川県藤沢市です。学生時代を神奈川で過ごし、就職で上京してからは、ずっと東京で車関連の会社に勤務していました。

Q:なぜ鹿児島に興味を持ったのですか?

最初のきっかけは、今から7年ほど前に手に取った一冊の本でした。

永松茂久さんの『感動の条件〜誰かのために生きるということ〜』という本で、その終盤に、特攻隊という日本を守った方々の話が紹介されていたんです。特攻隊員の遺書も掲載されていて、それを読んだときに「ここへ行ってみたい」と強く思いました。まさに、心が動かされました。

その衝動のまま飛行機のチケットを手配し、2週間後には鹿児島に降り立っていました。目的地は南九州市の「知覧特攻平和会館」だけで、それ以外はまったく決めていなかったので、「鹿児島といえば桜島」といったことも、恥ずかしながら現地に来てから知ったほどです。

実際に訪れた知覧特攻平和会館では、展示資料や映像から受けた衝撃が本当に大きく、戦争という重たいテーマを扱っている場所ではあるものの、僕の中にはなぜかとても爽やかな印象が残りました。覚悟を決めた人間の静かな清々しさを感じたからかもしれません。

それ以来、年に1回は鹿児島を訪れるようになり、移住前の直近では年間5〜6回ほど通っていました。

知覧平和公園内にて

Q:そんなに!結構来ていましたね!

はい。実は、鹿児島に初めて来た1年後くらいに、今の妻と出会ったんです。偶然にも妻は鹿児島県の出身で、「この間、鹿児島に行ってきたんだ!」とテンション高めに話したのを覚えています。

付き合い始めてからは一緒に鹿児島にも来るようになり、お互いに別行動を取って僕だけが知覧へ来る事もありました(笑)

Q:最初から移住という選択肢はあったのですか?

当初は全く考えていませんでした(笑)。

Q:いつ頃から移住を意識するようになったのですか?

2020年の年末に東京の会社を辞めて自営業を始めた頃からです。「東京と鹿児島の2拠点生活ができたら面白そうだな」と、ぼんやり考え始めました。

その後、東京で出張洗車サービスをしている社長と出会い、「これ、絶対鹿児島で需要がある」と感じたんです。火山灰で車が汚れるのに、洗車の時間が取れないという状況が多いのでは、と。

それからはその社長のもとで3年半ほど学びながら、技術を磨きました。

Q:いよいよ移住ですね!

はい。鹿児島で出張洗車サービスをやろうという話になり、3人で立ち上げたのですが、僕だけが東京にいて。打ち合わせを重ねる中で、「これは鹿児島で広がっていくはずだから、拠点は鹿児島に置くべきだ」となり、移住を決めました。

Q:奥様の反応はいかがでしたか?

内心は喜んでいたのではないかと思います。妻は家族ともとても仲良しで、鹿児島へ戻れば家族と会える機会も増えるので。とはいえ、仕事をしていたので、当時の職場や移住後の仕事については、慎重に考えながら進めていきました。

Q:実際に移住してみての印象は?

直近では年に5〜6回来ていたので、土地勘もあり、特に大きな驚きはありませんでした。

ただ、住みたいエリアを事前に決め、その中で家を借りて住み始めたことで、より生活に密着した情報が見えるようになりました。将来的に家を建てたいと考えているので、今は実際に暮らしながら、ゴミ出しや地域活動、買い物の利便性などを体感し、理想の住まいを探しています。

Q:鹿児島で友達はできましたか?

はい、おかげさまで、いろんな方と仲良くさせていただいています。

知覧に通うようになってからは、「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんのひ孫にあたる鳥濱拳大さんとも親しくさせていただいていて、実は僕の結婚式にも来てくれました。

東京から鹿児島に通っていた時、現地に友人がいると「また会いに行こう」と思えたので、本当にありがたかったですね。

また、以前、東京の知人を連れて鹿児島旅行をした際に同行してくれたカメラマンの方(鹿児島市在住)とその時に意気投合し、現在でもタイミングが合えば飲みに行く仲です。

ホタル富屋食堂館長・知覧茶屋料理長の鳥濱拳大さん(右)

Q:移住してよかったと思う点は?

とにかく人が優しい!鹿児島の人はとてもフレンドリーで、分からないことがあっても気軽に聞ける空気感があります。

それと、信号のない横断歩道で車が止まってくれた時、学生が深々と頭を下げたり、すれ違う小学生が元気に「こんにちは!」と挨拶してくれたり。最初は驚きましたが、今ではとても気持ちの良い習慣だと感じています。

あとは、鹿児島のトンカツ!どこのお店に行っても本当に美味しくて、衝撃を受けました(笑)。地元では家系ラーメンが好きでよく食べていたのですが、トンカツの頻度の方が多くなりました。

Q:鹿児島でのお仕事について教えてください。

現在は、出張洗車サービス「ハイスマ」の運営と、知覧へ訪れるみなさまの平和研修のサポートも始めさせていただくこととなりました。

知覧に通い続けてきた自分が、今度は訪れる人たちを迎える側になれたのは、まさに移住冥利に尽きる思いです。

鹿児島の出張洗車サービス「ハイスマ」

Q:今後やってみたいことは?

まずは、鹿児島で始めた出張洗車サービスをさらに拡大していきたいですね。火山灰の影響がある鹿児島では、間違いなくニーズがあると感じています。

それと、プライベートでは、東京にいた時もやっていたソフトボールを、こっちでもやりたいと思っています。

Q:パートナーの故郷「鹿児島」への移住を考えている方へメッセージをお願いします。

都会と比べると、やっぱり良いですよ(笑)。

自然環境や食べ物はもちろんですが、何より人のあたたかさが大きいです。

僕の場合、妻の実家があることで移住の安心感もありましたし、何度か通って土地に慣れてから段階的に移住を進めたのもよかったと思っています。

今はまだ子どもはいませんが、妻とは「子育てするなら鹿児島がいいよね」とずっと話していました。

これから移住を考える方も、焦らず自分たちのペースで準備を重ねていくことをおすすめします。

関連リンク

鹿児島の出張洗車サービス「ハイスマ」: https://high-smash.com/


ライター:小林史和

山梨県甲府市出身。2016年いちき串木野市の地域おこし協力隊をきっかけに移住。鹿児島を選んだ理由は「焼酎が好きだったから」。移住定住支援員というミッションの下、いちき串木野市を伝えるフリーマガジン『ALUHI(あるひ) 』を発行。協力隊任期終了後も、企画・編集など活動している。2021年〈まちとひとを伝えるもっとも最寄りな場所へ〉の想いを込めたカフェ「momoyori」を鹿児島市にオープン。県内2拠点生活中。

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