【「今しかない」が重なった。夫婦で選んだ鹿屋市での暮らし】久木山龍太郎さん・暁子さん/2025年3月鹿屋市に移住〜パートナーターン〜

「振り返ると、全部タイミングが重なっていたんです。」
そう話すのは、福岡県出身の夫・久木山龍太郎さんと、鹿屋市出身の妻・暁子さん。
暁子さんの妊娠、仕事の転機、地域おこし協力隊の募集、そして祖母が長年守ってきた商店を受け継ぐ決断。それぞれが偶然重なり、2025年3月、夫婦は福岡県から暁子さんの故郷である鹿屋市に移住し、新しい暮らしを始めました。
現在、龍太郎さんは地域おこし協力隊として活動しながら、SNS運用の仕事を継続。暁子さんは創業75年の「久木山商店」を引き継ぎ、コストコ商品の再販店として新たな挑戦を続けています。
振り返ると、偶然が重なったように見えた移住も、一つひとつの行動が次の出会いにつながっていました。そんなお二人の鹿屋市での暮らしについて、お話を伺いました。

「食の魅力」をきっかけに選んだ鹿屋暮らし
Q. 龍太郎さんのこれまでのキャリアについて教えてください。
A.(龍太郎さん)
出身は福岡県行橋市です。高校までは地元で過ごし、大学は熊本へ。卒業後は福岡県警に入り、警察官として3年間勤務しました。
その後、転職をし、広告代理店や、知人が立ち上げたスタートアップ事業に携わるなど、さまざまな仕事を経験しました。そんな中、SNSを活用した企業支援も並行して請け負っていて、ちょうどTikTokなどショート動画の活用が広がり始めたタイミングと重なったこともあり、企業向けのSNS運用を軸に独立しました。
現在も、業務委託をいただきながらSNS運用の仕事を続けています。
Q. 鹿屋市への移住は、どのように決まったのですか?
A.(龍太郎さん)
もともと僕自身は、住む場所へのこだわりはあまりありませんでした。
でも、結婚してから妻の出身地である鹿児島へ来る機会が増えるうちに、少しずつ考えが変わっていきました。
来るたびに、「鹿児島は食べ物がおいしいな」と感じるようになったんです。鶏刺しや黒毛和牛、黒豚、うなぎなど、身近なスーパーや地域のお店で当たり前のようにおいしいものが食べられる。ごみごみしすぎない、程よい暮らしやすさも、自分たちには心地よく感じました。
僕自身も場所を選ばずに続けられる仕事をしていたこともあり、「鹿屋で暮らしてみたい」と思うようになりました。
そんなタイミングで、子どもを授かったこと、妻が退職支援制度を利用できる時期だったこと、そして鹿屋市の地域おこし協力隊の募集があったことなど、いくつもの出来事が重なりました。
「今なら挑戦できるかもしれない。」
そう思えたことが、鹿屋への移住を後押ししてくれました。
A.(暁子さん)
私は正直、最初は鹿児島へ戻ることにあまり前向きではありませんでした。
福岡では休みの日にウインドウショッピングへ出かけたり、街を歩いたりするのが好きだったので、「鹿屋にはそういう楽しみがないな」と思っていたんです。
ただ一方で、「子育てをするなら鹿屋の方がいいかもしれない」という気持ちもありました。仕事も6年ほど続けて一区切りを感じていて、次に何がしたいのか、自分でもまだ見えていない時期でした。
そんなタイミングで夫から鹿屋への移住を提案されて、半分はありがたいという気持ちがありました。でも、都会での暮らしへの未練や、新しい仕事を一から始めることへの葛藤もあって、すぐに気持ちを切り替えられたわけではありませんでした。

自分の強みを生かせる働き方
Q. 地域おこし協力隊を選んだ理由を教えてください。
A.(龍太郎さん)
移住後も、SNS運用の仕事をそのまま続けるつもりでした。ある程度仕事も軌道に乗っていて、そのままでも生活していける見通しがあったので、新しく就職先を探すことは考えていませんでした。
地域おこし協力隊への応募を決めた一番の理由は、業務委託型の募集だったことです。一般的な会計年度任用職員としての募集だったら、応募していなかったと思います。
鹿屋市の募集は、自分の仕事を続けながら地域おこし協力隊として活動できる仕組みでした。市役所へ毎日通勤する必要もなく、自分の強みであるSNS運用を地域でも生かせる。それなら、自分に合った働き方ができると思ったんです。
もともと会社勤めは、正直あまり自分には向いていなくて(笑)。鹿屋の企業へ就職するよりも、自分から地域へ提案しながら仕事をつくっていく方が、自分らしく働けると感じました。
協力隊の募集を知ったのも、Instagramアカウント「かのやで暮らす」をフォローしていたことがきっかけです。普段からSNSで情報を集めていたからこそ、この募集にも出会えました。
実際に活動を始めてみると、地域おこし協力隊は「ブースト装置」のような存在だと感じています。
普通に移住するよりも、人と出会う機会が圧倒的に多いんです。行政が関わる制度だからこそ、地域の事業者さんや経営者の方、市長とも自然と話す機会が生まれます。先日はプライベートで市長と一緒に登山へ行ったくらいです(笑)。
そうした出会いが次の出会いにつながっていく。そのスピード感は、地域おこし協力隊ならではの魅力だと思っています。
| 【MEMO】地域おこし協力隊 都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、生活の拠点を移した者を、 地方公共団体が地域おこし協力隊員として委嘱する制度です。隊員は一定期間(おおむね1年以上3年以下) 地域に居住して、地域のブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの支援や農林水産業への従事、 住民の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、地域への定住・定着を図ります。 制度の概要や詳細は、総務省ホームページを御覧ください。 総務省HP:https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/02gyosei08_03000066.html |

「商店街の灯り」をつなぐ――祖母から受け継いだ創業75年の商店
Q. 久木山商店を引き継ぐことになった経緯を教えてください。
A.(暁子さん)
祖母が営んできた「久木山商店」は、今年で創業75年になります。お店は鹿屋市の吾平(あいら)町にあり、わたしも高校卒業までこの地域でそだりました。
もともとは石炭や肥料などを扱う商店で、地域の暮らしを長く支えてきました。祖母が亡くなったことをきっかけに、「このまま店を閉めてしまうのはもったいない」という思いが強くなったんです。
福岡で暮らしていた頃は鹿屋に戻ることはあまり考えていませんでしたが、いざ移住が決まると、祖母が大切にしてきたお店を自分たちの世代で受け継ぎたいという気持ちが自然と湧いてきました。
ただ、昔と同じ形で続けるだけでは難しいとも感じていました。
そこで始めたのが、コストコ商品の再販です。
福岡に住んでいた頃からコストコをよく利用していて、「鹿屋にもこんなお店があったら便利なのに」と思っていました。自分たちが利用者だったからこそ、その便利さを地域でも届けられるのではないかと考えたんです。
Q. 実際に始めてみて、いかがですか?
A.(暁子さん)
「近くでコストコの商品が買えて助かる」という声をいただくことが増えました。コストコ商品を目当てに、吾平町へ初めて来てくださる方もいます。
一方で、祖母の代から通ってくださっているお客様も大切にしたいと思っています。昔から扱っている商品も残しながら、新しい商品も並べる。その両方があってこそ、このお店らしさなのかなと思っています。
私が本当にうれしいのは、「久木山商店」を目当てに吾平町まで足を運んでくださる方が増えたことです。
お店が一軒増えただけで商店街が大きく変わるわけではありません。でも、この場所に人が来るきっかけを少しでもつくれたら。そして、商店街の灯りを少しでも長くつないでいけたらと思っています。

お互いが「自分らしく」なれた暮らし
Q. 鹿屋市に来て、お互いに変わったと感じることはありますか?
A.(暁子さん)
福岡にいた頃の夫は、本当に仕事中心の毎日でした。朝から晩まで働いていて、家にいるか、スターバックスで一人で仕事をするか。その繰り返しだったんです。
友達もいないんじゃないかと心配になったほどで、多分孤独なんだろうなと感じることもありました。
でも、鹿屋に来てからは地域おこし協力隊として活動する中で、たくさんの人とつながるようになり、その人たちとよく出かけています。以前より楽しそうですし、ピリピリすることも少なくなりました。
「こういう暮らしの方が、この人には合っていたんだな」と感じています。
A.(龍太郎さん)
妻も福岡では会社員として働いていたので、仕事の愚痴をこぼすことがよくありました。
今は久木山商店を自分で運営しているので、良いことも悪いことも自分で決めた結果です。
もちろん大変なこともありますが、自分で考えて、自分で決めて動ける働き方になったことで、愚痴もほとんど出なくなりました。
僕から見ても、会社員として働くより、今のような働き方の方が妻には合っているんだと思います。
Q. 移住して感じていることはありますか?
A.(龍太郎さん)
本当に運が良かったと思います。
でも、それは最初から環境が整っていたというより、移住してから自分たちで動いてきた結果なんじゃないかなとも感じています。
地域おこし協力隊の活動や商店を通して人とのつながりが生まれて、少しずつ今の暮らしができてきました。
今は毎日が本当に楽しいですね。
「不便」の基準が変わった――フェリーのうどんも楽しみの一つ
Q. 福岡と比べて、生活面での不便さは感じますか?
A.(龍太郎さん)
正直、あまり不便だとは感じていません。
車で移動できるので、日常生活ではむしろストレスが少ないと感じています。福岡では地下鉄での移動が当たり前でしたが、子どもを連れて満員電車に乗ることを考えると、今の暮らしの方が自分には合っています。
もちろん、東京や福岡へ行くには鹿児島空港まで車で1時間半ほどかかりますし、飛行機の本数も限られています。でも、飛行機を使うのは年に数回あるかどうか。そのために毎日の暮らしを不便だとは思わないですね。
移住してきた人ほど、「思ったより不便じゃなかった」と感じるんじゃないかなと思います。
鹿児島市内へ行くときは、高速道路かフェリーを使いますが、フェリーに乗ればうどんが食べられますし、たまに泳いでいるイルカを探したりするのも楽しみの一つです。他県ではなかなかできない体験ですよね。
A.(暁子さん)
私も最初は「鹿児島市内へ買い物に行きたい」と思うことはありました。でも今は、その気持ちも少し変わりました。
隔週に一度、熊本のコストコへ仕入れに行く日があるので、それがちょっとした楽しみになっています。
「この日のために頑張ろう」と思えるので、以前より無駄な買い物も減りました。自然と節約にもつながっていますし、不便さというより、暮らしのリズムが変わった感覚の方が近いですね。
子育てをするなら、このタイミングでよかった
Q. 鹿屋市での子育て環境はいかがですか?
A.(龍太郎さん)
子育てについても、本当に恵まれたと思っています。
ちょうど今年(2026年)の9月から、0~2歳児の保育料が無償化されたんです。保育園もお店から歩いて1分ほどの場所にあります。医療費の助成もあって、子育てにかかる負担は想像していたよりずっと少ないですね。
制度だけでなく、妻の実家が近くにあることも大きいです。お店も子育ても、家族の協力がなければ続けられていないと思います。
A.(暁子さん)
本当に助けてもらっています。
最近保育園に通い始めましたが、これまでも祖父母が子どもを見てくれたり、お店を手伝ってくれたりしていました。
福岡でも子育てはできると思いますが、家族がすぐ近くにいて、必要なときに自然と支え合える環境は、都市部ではなかなか得られなかったと思います。
子育ても、お店の運営も、家族みんなに支えてもらっているという実感があります。

移住を考えている方へのメッセージ
Q. 最後に、地方移住や鹿屋市への移住を考えている方にメッセージをお願いします。
A.(龍太郎さん)
僕は、あまり甘い気持ちで移住すると失敗すると思っています。
一番大切なのは仕事です。移住したからといって、自分のやりたい仕事が見つかるとは限りません。
僕はたまたま場所を選ばず続けられる仕事があったので恵まれていましたが、地域おこし協力隊になるとしても、その3年後をどうするのかは、移住する前から考えておいた方がいいと思います。
「移住して何をしたいのか」。
その目的があると、そこに向かって行動できます。だからこそ、自分のやりたいことだけは具体的にしてから来てほしいですね。
A.(暁子さん)
私は逆ですね(笑)。
一つでも理由があるなら、来てみてもいいと思っています。
「ご飯がおいしそう」とか、「この街が気になる」とか、それくらいでも十分です。
あまりハードルを高くしてしまうと、結局動けなくなってしまうので。
もし合わなければ、そのときにまた考えればいい。まずは条件が合う地域を探して、一歩踏み出してみることが大切なんじゃないかなと思います。
A.(龍太郎さん)
考え方が正反対ですね(笑)。
でも、二人とも共通しているのは、「行動した人にチャンスが巡ってくる」ということです。
移住しただけでは何も始まりません。地域の人と会ったり、自分から動いたりすることで、人とのつながりが生まれて、少しずつ道が開けていく。
振り返ってみると、僕たちも行動した先で、人との出会いや新しい挑戦につながってきたように思います。

関連リンク
・久木山龍太郎さんInstagramアカウント:https://www.instagram.com/buzzkanoya/
・OJACOS(久木山商店内コストコ再販店):https://www.instagram.com/kanoya_de_costco/